ふとんの石堂/ブログ
2021年3月12日
父の作った丹後ちりめん「月光」
当地は丹後ちりめんの里。私の生家も丹後ちりめんの織元でした。難聴になるほどの大きな機音ですが、機屋の子供は「機音のしない日曜日は子守唄がないから寝ない」なんてよく言いましたね。
父は口数が少なくいつも机の前にいてしかめっ面をしながら零細企業の経営の悩みを独りで抱えている人、その傍ら研究熱心な人で、縦と横の世界をどう構成するか考えている、私の中ではそんな人でした。一緒に笑ったり遊んだりの記憶はないですが母は父のことを「子煩悩な人だ」と晩年になってから話してくれました。これといった父との思い出はなくても子供たちの成長を支えながら見守ってくれているやさしい父が大好きでした。
そんな父が研究に研究を重ねて作り出した「月光」ちりめんは、それまでのちりめんの短所をほとんどなくした商品でした。「のびぬ、ちぢまぬ」のキャッチフレーズで毎日納品反数が追い付かなくて遅い時間まで機が動いていたのを思い出します。
出荷する反物は、最後の検反と「月光」の朱印と機業場番号のハンコを押し、ぶんこという包装紙に包んで運送トラックで京都室町へ夜のうちに運ばれます。運送屋さんが来るのが19時から20時。運送屋さんが集荷に来るまでの2時間ほどの間にその作業を完了させるには猫の手も借りたいということで、私たち子供の出番です。朱印と番号を押す人、朱印と反物の間に色が反物を汚さないように紙を挟み込む人、反物を紙テープで縛ってぶんこに包みあげる人が連係プレーで流れ作業をしていきます。一締め5反。今日は200反、昨日は300反。そんな景気の良い時代でした。
父が亡くなって20年過ぎました。
先日叔母の遺品の中から「月光」の朱印がある反物が私の手元に届きました。
とろりとした肌触り、月光のような上品な光沢。
父の苦労を思い、子供のころの風景を思い出し、胸が熱くなります。
半世紀前の話です。
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